笑って卒業しよう!日大通信商学部

今日もワクワクを感じながら仕事と学習を頑張って、最後はポポポポーンっと、卒業まで駆け抜けます!

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阪神淡路大震災 私の体験

こんにちは、番頭です。

阪神淡路大震災から今日で15年を迎えます。気がつけばあっと言う間で
すね。

地震当時、私は社会人4年目。
強烈な揺れが襲ってきて、家具やテレビは落ちてくるし、家中ひび割れる
等ひどい被害を受けました。家族はなんとか無事だったので、とりあえず
片づけをした後スクーターで職場に向かいました。

停電していたので、被害の状況がわからなかったのですが、国道2号線ま
で出てきて現実を思い知りました。道路はボコボコに段差が出来て普通に
走る事が出来ず、途中押しながら、また激しい渋滞もあり、会社に着いた
のは6時間後でした。

会社に着くと建物は無事でしたが、中はやはりボコボコ。まずはそれらの
一応の片づけと社員の安否確認やお客さまへの対応、また近くの避難所へ
の物資提供ボランティアなど、暫くは女性男性関係なく連日泊りの仕事が
続きました。

数日後とりあえず帰宅し、職場の長期戦に備えて日用品や着替え等を持っ
て再出勤。通行規制や路面の悪化などで次の出勤には半日くらいかかりま
した。

困ったのはやはり水。特にトイレには苦労しましたね。流せないので、用
を済ませた後新聞紙を敷いて消毒スプレーをした後次の人が使うという状
況が暫く続きました。またまた被害の少なかった同僚にポリバケツで水を
運んでもらい、それで洗い流しながら復旧する1カ月強を過ごしました。

もちろん家も水道が止まっていて、当時4階に住んでいたのですが、近く
の公園の給水車からポリバケツで水をもらい、何度も階段を往復しました
ね。
お風呂も2週間くらい入れずに郊外に住んでいる同僚の家で久々に入りま
した。温かくて嬉しかったです。

食事も非常食からお弁当と少しずつ良くなりましたが、温かいものがなか
なか食べられませんでした。

でも一番辛かったのがメンタル面。
お客さまの中には家族を亡くされた方もおられて「これからどうやって生
きて行ったらいいの?」と泣きながら訴える方や、いきなり殴られた事も
ありました。
今となっては、皆さんどうしようもない悲しみやストレスのガス抜きがう
まく発散出来なかったんだろうなと感じます。

この悲惨な状況がいつ迄続くのだろう?と、私も辛かったです。

でも水道や電気が復帰した時に、職場のみんなでバンザイしたり、通勤途
中で炊き出しの食事を頂いたり、体調を崩した時にAMDA(国境無き医
師団)の臨時診療所で助けてもらったりと、キツイ事が多かったけれど感
謝する事も多かったです。

あんなこんなで15年。なんとか過ごしています。
時間が辛い出来事を忘れさせてくれるけど、それでもあの時感じた恐怖感
や絶望感は忘れられないです。

こんな日に災害について考える事、大切です。
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